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ふきのとう16号発行

16号は2007年4月20日発行です。

主な内容は

  パート労働法改正案に反対しよう!
  映画評 『それでもボクはやってない』
  オーストラリア訪問記
  投稿 必要なだけ看護休暇を

 ここでは、映画評 『それでもボクはやってない』 の一部を紹介します。

 少し上映から時間がたってしまいましたが、話題作で覚えていらっしゃる方も多いと思います。満員電車の中で主人公が痴漢を疑われ、無罪を訴えて裁判で闘う話です。実話を元にしているそうですが、実話とは違い映画の中では一審有罪で終わります。
とてもよくできた映画だとは思いました。痴漢をめぐる様々な状況、場面というものがおそらくよく描かれたものなんだろうと思います。最初の方では、無罪を訴える主人公が留置場に入れられていく一方で、観念して「やりました」と認めた人間が簡単に釈放されていく場面が対比して描かれていました。そして自分が言うことはまったく聞いてもらえず、勝手に調書が作り上げられていきその繰り返しの中で、だんだんと絶望していく状況がよく描かれていました。



それとちょっと面白く描かれていた留置場の中での様子。主人公にいろいろアドバイスしてくれるありがたいような迷惑なような先輩。無罪を主張して裁判で闘うことはとても難しいという当番弁護士。裁判の中で、印象的なのもいろいろありました。性犯罪を好んで傍聴するマニアとでも言うべき不気味な人たち。また傍聴席が長いすで、定数を超えていても「詰めて座ってください」と傍聴に来た人を大事にする裁判長。

 これは違うと思ったのは、検察官が主人公の自宅にあった「痴漢もの」AVを主人公に示したときにいった主人公のことば「これが証拠になるなら男はすべて犯人でしょう」です。そのようなAVは全男性が所持していますか?もちろん、これだけで証拠にはなりませんが、AVの広がりを当然のように描く点は納得できるものではありません。つい最近でもAVに感化されて女児に性的暴行を加えた小学4年の男児のことが明らかになっているとおりAVの影響は無視できないものがあります。「AVが自宅にあっても性犯罪の証明にはならない」ではなくて「AVは性犯罪に人を駆り立てる可能性があるもの」であることをきちんと描いてほしいと思います(この映画の中では限界はあるでしょうが)。

 それから被害者が証人として出廷したときに被告人や傍聴人から見えないように衝立を立てるようになっていますが、それに対して傍聴人がつぶやく言葉「裁判は公開が原則だろ」です。被害者保護に関しては様々な論点があり、ここで論じきれるものではありませんが、性犯罪の被害者保護はもっとも要請されるもので衝立を立てることは最低限のものとして最近ようやく行われるようになったものです。

 被害者は必死に記憶をたどって答えています。もちろん冤罪であれば被害者の糾弾の思いを被告人に向けるのは誤っているのですが・・でも被害者は加害者が罰せられなければやりきれない思いが残るだけです。何も冤罪を仕立て上げたくて証言をするわけではありません。そういう意味では本当に双方のギリギリの思いが裁判でぶつかり合います。
痴漢をめぐる状況はあまりにも女性に不利です。加害者の手に残った繊維を調べるという科学的捜査もあるといわれますが、これとて加害者を直後に確保できていなければ無理なことです。女性にとってこの映画から導かれる極めて現実的な教訓は、被害の瞬間に加害者の手首を捕まえよ、そして決して離すなと言うことでしょう。でもそれは可能なことなのでしょうか?

by equity03 | 2007-05-20 14:37 | ふきのとう  

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